文京区目白坂付近の史跡
今宮神社:文京区音羽1-4-4
目白方面から目白通り(新坂)を音羽の方に下りていくと前方に見えるのがこの今宮神社です。天照大神宮・八幡大神・春日大明神・今宮大明神・三部大権現を祭るため、今宮五社ともいわれています。元禄十年桂昌院の発願により、護国寺建立の時、同所に併設され、明治六年現在地に移ったといわれています。病気平癒の御利益があるそうです。
永青文庫:文京区目白台1-1-1(一般 600円 学生 400円・月曜日休館(祝日の場合は火曜日))
永青文庫は風致地区に隣接する目白台の一画に、江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にあります。細川家は室町幕府三管領の一つとして大変古い家柄で、現在の細川家は明智光秀と共に足利義昭を守って織田信長に謁見した藤孝(幽斎)を初代として戦国時代に始まります。藤孝は優れた歌人・国文学者として、また、信長の雑賀征伐に弱冠15歳で初陣し先駆けの功に輝いた忠興は千利休の高弟の一人としても名高く、その室・明智光秀の娘玉は波乱の戦国時代を清冽に生きた武将の妻として、キリスト者としてガラシャの洗礼名で知られています。 細川家は関ヶ原合戦後、肥後熊本五十四万石を与えられ、強力な外様大名として幕末に至りました。永青文庫は細川家代々のコレクション4,500点を所蔵する他、館内階段の窓から細川家本邸のたたずまいも見ることができます。
大町桂月旧居跡:文京区目白台3-22-17(案内板のみ)
詩人・随筆家・評論家として知られる大町桂月は明治42年頃から没するまでここに住んでいました。『文芸倶楽部』『太陽』などに随筆を書き美文家として知られ、韻文・随筆・紀行・評論・史伝・人生訓など多彩であったといわれます。 北海道大雪山系の黒岳の近くには、彼の名前にちなんだ桂月岳という山があります。与謝野晶子と彼女の『きみ死にたまうことなかれ』について公開抗議状をやりとりしたことで戦後彼の評価が下がったといわれていますが、実は二人はとても仲が良い友人同士だったとも伝えられています。
オルゴールの小さな博物館:文京区目白台3−25−14(一般 1,300円 子供 600円 月曜日・火曜日休館(祝日にあたる場合は翌日))
18世紀から20世紀にかけて発達したオルゴールを7階建ての館内に約300台収蔵した博物館で、箱根の観光名所になっている箱根オルゴール館はここの分館です。オルゴールだけに音が展示物の一つでもあるので、ここは完全予約制でのみ見ることができますので、ぶらりと行かずに必ず行く前にお問い合わせの上、ご予約ください。お問い合わせ:http://www.musemuse.jp/Musemuse_home.htm
窪田空穂旧居跡:文京区目白台2-4-16(案内板のみ)
歌人、国文学者として知られ、古今和歌集や万葉集の研究で名高い窪田空穂は早稲田大学で教鞭を取り始めてから以後、晩年まで目白台三丁目のこのあたりに住んでいたといわれています。長い生涯の文筆活動は多彩で、短歌、小説、随筆、歌論、評釈等に活躍の場は広範囲にわたります。坪内逍遥の推薦で早大に勤務し、講師、教授として多くの人材を育てました。
講談社野間記念館:文京区関口2-11-30(一般 500円 中・高・大学生 300円 小学生以下無料 日曜日・月曜日・祝日休館)
講談社初代社長野間清治氏が収集した「野間コレクション」と称される美術品を中心に展示しています。講談社の出版事業にかかわる貴重な出版文化遺産も数多く展示されます。建物は、旧社長宅を改装したものです。
佐藤春夫旧居跡:文京区関口3-6-16(案内板のみ)
佐藤春夫は1892年4月、和歌山県新宮市に生まれ、慶應大学に進んで当時教授だった永井荷風に師事しました。代表作に『病める薔薇』『釈迦堂物語』『玉を抱いて泣く』『田園の憂鬱』『厭世家の誕生日』など多数ある他、詩人としていろいろな曲に詞をつけています。文京区の区歌も佐藤春夫の作です。
正八幡神社:文京区関口2丁目3号21番
創建年はよくわかりませんが、江戸時代の古地図にはすでに記されていますし、関口水神社に関して関連する史実がありますので、徳川家の江戸入幇の際にはすでにこの地にあったことは明らかです。東京神社庁によれば品陀和気尊(ほんだわけのみこと=応神天皇)を祭神としているとのことです。ちなみに応神天皇は実在性が濃厚な最古の大王(天皇)とも言われています。
新江戸川公園:文京区目白台1-1-22(入場無料)
元は某大身旗本の邸宅があった場所で、江戸時代末期、熊本藩主細川家の下屋敷になりました。その後、細川家の本邸となりましたが、1960年に東京都が購入し、1975年に文京区に移管されて公園となりました。目白台地からの湧水が豊富で、その湧水を生かし、自然景観を重視した回遊式泉水庭園が有名です。松声閣は明治の建築とも大正の建築ともいわれますが、いずれにせよ老朽化で使用禁止の状態となっています。晴れた日には白鷺や亀も出てきて長閑です。
水神社:文京区目白台一丁目1番9号
関口の水神社にはこの水神様の水が湧き出していますが、どうやらこちらがそのご本尊様らしいです。故事によると、太閤の命で関東の地を治めることになった徳川家康がこの湧水に目をとめて、江戸城の水の手を確保するように配下に命令しました。その命を受けた大久保何某が井の頭川から善福寺池などの水を合わせて、関を設け、江戸川(当時の名称:いまは神田川と呼ばれる)の水位を上げる神田上水建設工事を行ったといわれます。その神田上水工事の折に水神様が正八幡社宮司の夢枕にたち、この地に社をたてよと命じてできたのが由来ということで、お話的には関口水神社とまったく同じです。
関口芭蕉庵:文京区関口2-11-3(入場無料)
松尾芭蕉がここに住んでいたのは1677年からの3年間のみだったといわれています。当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、芭蕉はこれにたずさわり、工事現場近くの水番屋に住んだといわれます。この建物は当時は龍隠庵といわれていましたが、芭蕉をしのぶ人々によって関口芭蕉庵と呼ばれるようになりました。また、当時の建物は戦災で焼け、いま建っているものは戦後修築されたものです。
椿山荘:文京区関口2-10-8(庭園は入場無料)
武蔵野台地の東縁部にあたる関口台地に位置し神田川に面したこの地は、南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「椿山」と呼ばれていました。江戸時代には久留里藩主黒田豊前守の下屋敷になりましたが、維新後、山縣有朋が1878年(明治11年)に私財を投じてこれを購入して「椿山荘」と名づけました。森鴎外は山縣に近づくため椿山荘に足しげく通ったという話もありますが、この話は面白いものの、通説とはなっていないようです。その後、1918年に藤田財閥がこれを譲り受け、東京での別邸としました。戦災で一部が焼失しましたが、1948年に1万余の樹木が移植して庭園を整備し、1952年から結婚式場としての椿山荘の営業を始めたということです。
鳩山会館:文京区音羽1-7-1(一般 500円 高・大学生 300円 小・中学生 200円 月曜日休館)
言わずと知れた現首相の旧居。岡山出身の曽祖父鳩山和夫がこの地に居を構えたのは明治24年です。和夫は、弁護士の地位向上、私学の発展、立憲政治の発達と進歩を理想としたといわれます。洋館は大正13年に鳩山一郎によって建てられ、首相、初代自由民主党総裁の一郎のほか、妻の薫(共立女子学園理事長)長男で外相を務めた威一郎を記念する部屋やバラに飾られる庭園などが公開されています。
山崎富栄の墓(永泉寺):文京区関口2-3-18
山崎富栄と聞いてピンとくる方は相当な太宰ファンと思います。彼女は1948年に玉川上水で太宰治と入水心中をして亡くなりました。ご存じの通り太宰は自殺願望が強く、過去に何度も自殺未遂をしています。しかしこの心中事件は山崎との不倫関係の挙句のことでもあったので、さまざまな憶測を呼び、スキャンダル事件として扱われました。永泉寺は山崎家代々の菩提寺で、彼女は本寺裏手の墓地中央付近、山崎家の墓に永眠しています。