審査請求申立の趣旨
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Updated on 2009/9/30
審査請求申し立ての趣旨(つづき)
(2) 本件開発計画の第33条第1項第2号違反
イ) 環境の保全上の問題
都市の環境には大きく3種類の環境があります。都市の歴史文化環境(人文科学的環境)、自然環境(自然科学的環境)及び居住者の属性や生活様式に対応した環境(社会科学的環境)とです。これらの3種類の環境の中で、都市居住者の帰属意識を感じる最大の環境が歴史文化環境です。一般に、都市とは歴史文化の集積である、とも言われる所以です。関口の住民もこの建築物と樹林とで形成される歴史環境に帰属意識を感じ、それを大切にしてきました。
(上記古地図:護国寺周辺の嘉永年間の古地図。右に拡大の通り、計画地が隣接する正八幡神社と養国寺、永泉寺、大泉寺の3寺院はすでにこの地にあったのです。)
文京区関口は文京区の南西部、新宿区と接する辺りの目白台地に広がる閑静な住宅地で、江戸時代には大名の別邸や旗本の屋敷が連なる地域でした。この丘陵は、江戸を代表する遊山の地に数えられ、今でも山県有朋の別邸であった椿山荘、緑美しい日本式庭園の新江戸川公園、俳人松尾芭蕉の住み処と伝えられる関口芭蕉庵などの史跡が残り、今も歴史の面影が見受けられます。
この辺りの地名にもなっている「目白坂」「目白台」「目白(豊島区)」は東京の五色不動の一つで三代将軍徳川家光に命名されたという「目白不動」に由来するものであり、まさに計画地の裏手に戦災でやける(昭和20年5月25日)まで存在しており、本件で問題になっている目白坂は目白不動様への参道の一部であったのです。ちなみに本尊の不動明王は弘法大師作と伝えられ、高さ25センチほどの断臂不動明王といい秘仏とされています。断臂不動明王は弘法大師が唐から帰国の後、羽州湯殿山というところに参籠した時、大日如来が忽然と不動明王の姿となり、「此の地は諸仏内証秘密の浄土なれば、有為のえ火をきらえり、故に凡夫登山する事かたし、今汝に無漏の浄火をあたうべし」といわれたので、大師はその姿を二体刻んだということです。その一体はその場所に安置し、もう一体は大師自ら護持されたといいます。その後、上野国足利(現在の群馬県足利市)沙門某という人の手を経て、武蔵国関口(当地)の松村氏という人が本尊を足利から移し、地主から土地の寄進を受け、一宇を建立したということです。
文京区の都市マスタープランでも、歴史的建築物と樹林が歴史文化を育んできたことを評価し、関口2丁目・3丁目地域について、「目白通りの沿道は、大規模な敷地を有する低層の施設や街路樹のイチョウ並木により、緑の濃い良好な景観が形成されており、今後とも維持・保全を図る。目白台一丁目、関口二・三丁目の第一種低層住居専用地域に指定されている区域は、低層住宅市街地としての環境保全に配慮しながら、土地利用の誘導を進める。」とされており、本件開発計画の内容とは全く矛盾するものになっています。(出典: 『文京区都市マスタープラン 1996』他)